
産経新聞の安藤編集委員がプロ市民による教科書利用に警鐘を鳴らしている。安藤委員の言っていることはまさに正論であろう。そもそもプロ市民だけでなく日教組が日本の子供を反日に育てるべく偏向教科書を使ってきた。その後愛国者たちの反撃が始まり、正しい記述になってきたのだが、最近発覚した皇室軽視記述からわかるとおり、プロ市民は牙をむき始めてきた。
そうでなくても日本の教科書はひどい、まさに洗脳道具と化している。ありもしない捏造を歴史的事実と言い張り、日本解体法案である外国人参政権を奨励する内容をセンター試験に出したりと反日集団はやりたい放題をしている。
これは近代だけに限らない、中世においても同じだ。その典型が北条政子や日野富子といった人物だ。彼女らは源頼朝、足利義政の妻。つまり本来は源政子、足利富子としなくてはならないのに、わざわざそうせず夫婦別姓を奨励する内容にしている。
こうなったのは歴史を知らないだけではない、国語を知らないからだ。これも日本語を大切にしない風潮があるからだ。教科書なのだから正しい美しい日本語を書かなくてはならない。間違った歴史はもちろん、間違った日本語も子供の学力低下につながるのは常識であろう。
正しい日本語ができないと「死刑は欠陥のある刑罰」と妄言を吐くことになる。死刑は日本の偉大な文化。その偉大な文化をないがしろにするということは歴史に無知、すなわち言語能力の欠乏を露呈したことになるからだ。やはり正しい教育には歴史だけでなく国語を学ぶためにも授業時間を大量にとり詰め込み教育をしないといけない。
日本は資源がないぶん教育を大事にしなくてはいけない。特に日本の周りにはいつ日本を侵略しようかと企んでいる国々が大量にあるのだ。にもかかわらず、その敵国に迎合するように教育をするのだから話にならない。日本に必要な教育は敵国に対する敵愾心を植え付ける教育ではないか。
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