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2011年05月31日

君が代を否定する人権などあってはならない





 最高裁は正義の判決を出した。国歌斉唱時の起立命令は合憲であると認めたのだ。反日左翼は君が代を悪の歌と位置づけあらゆる妨害を行ってきた。今回の判決はそれに正義の鉄槌を加えるものである。

 君が代はその名の通り、2600年以上続く万世一系の天皇家をたたえる歌である。したがって日本人はみなこの歌を喜んで歌わなければならない。国歌斉唱の起立命令は当然だろう。喜ばしいことに国歌斉唱時の起立命令が全国に広がってきている。大阪府知事の橋下徹もそれを推し進めた一人だ。橋下はtwitterで次のように述べている。

 公立の教員は、公務員組織の一員。組織の一員だ。職務命令に従うのは当たり前。そして公の組織の職務命令は民意を受けた命令だ。その命令に意図的に反するということは単なる組織への反抗ではなく、民意への挑戦だ。教員は、教育委員会の決定に対して意見するコメンテーターや有識者とは異なる。

 これが民主主義だ。大阪維新の会は大阪都構想を実現するために、1年半かけてカネも労力もかけて選挙を戦った。そして一定の民意を得て、今物事を進めようとしている。教育委員会の決定を変えたいなら、民主的ルールに基づいて決定を変えよ。教育委員会の決定は最高意思決定機関の決定だ。

 その上司の命令が不当かどうかは正式な手続きで争え。合理的な命令であるにもかかわらず、その命令が嫌なら、聞きたくないなら、組織を辞めて、自分の考えに合う組織で働けば良い。身分保障を盾に、職務命令に堂々と反するなんてあり得ない。公務員にそんな特権はない。

 全く持って正論である。ここからわかることは権利を叫ぶことは民意に逆らうということ、つまり民主主義のに反するということだ。権利を叫ぶということはつまり人権のことだ。人権は民主主義の敵なのだ。

 「人権派」という言葉からもわかるだろう。この名前は胡散臭い弁護士の代名詞である。つまり人権都は胡散臭い物であり敵視しなければならないものである。ましてや君が代の前ではなおさらであろう。

 日本が特定アジア諸国に蹂躙されるのも人権を重視した結果ではなかろうか?今こそ、人権の恐ろしさを知り、愛国心を育て敵国をやっつける教育を行わなければならない。そのためにも日本を破壊する人権の存在を徹底的に弾圧しなければならない。
ラベル:君が代
posted by 愛国 at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本人のことについて、もっとよく学ぼう。日本語しか知らない人は、日本についてもよく知らない。


言語は、考えるための道具である。言語が違えば、考え方も異なる。

日本人は、本当に礼儀正しいのか。
我々の礼儀作法は、序列差法である。序列なきところに礼儀なし。
日本語には階称 (言葉遣い) がある。
言葉遣いの意味を身振りで表わせば、序列差法になる。

日本人は、なぜ察し (勝手な解釈) を使うのか。
意思は、未来時制の内容である。
日本語には、時制がない。だから、未来時制もない。
日本人には、意思がない。
それで、勝手な解釈を利用する。

日本人には、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。
恣意は、文章に表わせない。アニマル・子供に共通である。
恣意は、相手により察しにより文章化される。
本人には、その内容に責任がないが、それは本人の意向とされることが多い。

日本語には階称 (言葉遣い) があるので、日本人は序列人間 (縦社会の人間) になる。
義理 (序列関係) がすたれば、この世は闇だ。
意思はなくても、恣意があるので、アニマル風に行動する。

意思のない日本人は、天の声により行動が定まる。自分自身で考える力はない。
問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力は持っている。
だから、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ必要に迫られることになる。
これは、昔からある浪花節でしょうね。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
Posted by noga at 2011年06月01日 15:40
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