2016年02月16日

金正恩は父親も殺していた





 北のカリアゲこと金正恩。北朝鮮ではこの男によって粛清の嵐である。先日も朝鮮人民軍の参謀総長が処刑された。自身の叔父も処刑し、数々の武器で処刑した金正恩。まさに処刑が趣味と言わんばかりの状況である。このままどんどんと殺していって悦に入るのだろう。ちょっとうらやましい。しかし相手が北朝鮮となると話は別だ。

 さて本日2月16日は金正恩の父親である金正日の誕生日である。正恩の殺人趣味はこの父親の遺伝子によるものであろう。正日は権力闘争の過程で処刑技術を磨いていったことは有名である。4年ほど前に突然死んで正恩が表舞台にたったのだが、じつは正日は殺されていたことをご存じだろうか?それも正恩に殺されたのである。こちらがその証拠画像である。



 自分の父親を平気で殺した挙句、それを自慢するような狂人が国のトップに立っているのだ。北朝鮮は間違いなく日本にとって害毒である。日本にいつミサイルを打つとも限らないからだ。だからこそ日本は北朝鮮にレンジャー部隊を派遣して正恩を殺すくらいのことをしなければだめだ。あの男が生きている限り日本人は枕を高くして眠れないのである。

 金正恩が処刑をするのは勝手であるが、それによって北朝鮮の屋台骨が揺らぐのは大変良いことである。レンジャー部隊派遣の前の準備があるからその間に北朝鮮が弱体化をしてくれれば占めたものである。
ラベル:北朝鮮
posted by 愛国 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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『楽浪郡平壌説による古代史改竄の方法』

 楽浪郡平壌説とは単に楽浪郡が平壌にあったかというような説ではなく、韓半島の
歴史を箕子朝鮮から倭の消滅までの数百年に渡って改竄する、壮大な虚構の古代史
の基盤となっている説である。 そしてその最大の目的は倭国の歴史を日本列島の
歴史に改竄する事にある。 歴史改竄の方法は複雑だが、山形氏の説を簡単に
まとめると次のようなステップで構成される。
倭国を韓半島から消去して日本列島に移動させる。
倭国の抜けた穴を埋めるために韓半島北部や遼東半島にあった三韓、百済、新羅
などを韓半島南部へ移動させる。 それらの国々が抜けた穴を埋めるために遼東
(遼河東部地域)にあった古朝鮮、楽浪郡や玄菟郡などを朝鮮半島に移動させたり
高句麗を巨大化させる。最後にそれらが抜けた穴を埋めるため、燕、秦、漢、高句麗
などを全て巨大化させる。 そして楽浪郡と共に韓半島に移動した玄菟郡だけを遼東に
戻し、楽浪郡だけを平壌に残したりする。
 以下においてはそれぞれのステップの改竄がどのような問題を発生させたかについて説明する。
1. 倭国は韓半島国家
 最初のステップを否定し、倭国を韓半島と考えれば倭人伝以外の中国文献、朝鮮文献の記述に対する以下のような疑問も解消する。
山海経海内北経に、「蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す」とあり、陸続きであったような書き方である。燕は河北省北部(北京周辺)のあたりにあった国で、蓋国(韓の前身か?)がどこにあったにせよ、 倭が燕の属国であった以上、遼東半島か韓半島
北部あたりにあったのではないか?
漢書地理誌には「樂浪海中有倭人」とある。楽浪海が何を意味するかは不明である
が、遼東湾、西朝鮮湾、黄海あたりを意味し、太平洋は意味しない。倭人は韓半島に
いたのではないか?
魏志韓伝では「南は倭と接する」、「瀆盧国は倭と接する(與倭接界)」とある。倭が
韓半島にあったという明白な証拠ではないか?
北史百済伝では百済の構成民族に倭人が挙げられているが、倭と百済は陸続きだったのではないか?
宋書倭国伝では倭王武を倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙爵した、とある。高句麗 好太王碑でも倭は韓半島の覇権を巡って高句麗と争った事が記されている。倭国が韓半島に固執した理由は何故か?帆船の無い時代に日本列島から韓半島に大軍を派遣するのは現実的だろうか?
宋書倭国伝で記述された倭の五王に関し、記紀に記述が全く無い上に天皇の在位期間
と合わないのは何故か?
高句麗と倭が韓半島で死闘を繰り広げた時代に、大和政権が資金や労働力を戦争
ではなく大規模古墳の作成に費やしていたのは何故か?
旧唐書には「日本国は倭国の別種」とある。倭国と日本国は別の国だったのではないの
か?
三国史記新羅本紀によると第四代国王脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあったとある。倭国を九州とすれば東北に国は存在せず、畿内とすると脱解は倭人となり、新羅の王になるのは不自然ではないか?
三国史記新羅本紀では度重なる倭国の侵入記録があり、5方向から侵入した記録もある。倭は毎回対馬海峡を越えて侵入したのだろうか?
Posted by アンチ・昇一 at 2016年02月17日 05:16
『楽浪郡平壌説による古代史改竄の方法』

 楽浪郡平壌説とは単に楽浪郡が平壌にあったかというような説ではなく、韓半島の
歴史を箕子朝鮮から倭の消滅までの数百年に渡って改竄する、壮大な虚構の古代史
の基盤となっている説である。 そしてその最大の目的は倭国の歴史を日本列島の
歴史に改竄する事にある。 歴史改竄の方法は複雑だが、山形氏の説を簡単に
まとめると次のようなステップで構成される。
倭国を韓半島から消去して日本列島に移動させる。
倭国の抜けた穴を埋めるために韓半島北部や遼東半島にあった三韓、百済、新羅
などを韓半島南部へ移動させる。 それらの国々が抜けた穴を埋めるために遼東
(遼河東部地域)にあった古朝鮮、楽浪郡や玄菟郡などを朝鮮半島に移動させたり
高句麗を巨大化させる。最後にそれらが抜けた穴を埋めるため、燕、秦、漢、高句麗
などを全て巨大化させる。 そして楽浪郡と共に韓半島に移動した玄菟郡だけを遼東に
戻し、楽浪郡だけを平壌に残したりする。
 以下においてはそれぞれのステップの改竄がどのような問題を発生させたかについて説明する。
1. 倭国は韓半島国家
 最初のステップを否定し、倭国を韓半島と考えれば倭人伝以外の中国文献、朝鮮文献の記述に対する以下のような疑問も解消する。
山海経海内北経に、「蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す」とあり、陸続きであったような書き方である。燕は河北省北部(北京周辺)のあたりにあった国で、蓋国(韓の前身か?)がどこにあったにせよ、 倭が燕の属国であった以上、遼東半島か韓半島
北部あたりにあったのではないか?
漢書地理誌には「樂浪海中有倭人」とある。楽浪海が何を意味するかは不明である
が、遼東湾、西朝鮮湾、黄海あたりを意味し、太平洋は意味しない。倭人は韓半島に
いたのではないか?
魏志韓伝では「南は倭と接する」、「瀆盧国は倭と接する(與倭接界)」とある。倭が
韓半島にあったという明白な証拠ではないか?
北史百済伝では百済の構成民族に倭人が挙げられているが、倭と百済は陸続きだったのではないか?
宋書倭国伝では倭王武を倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙爵した、とある。高句麗 好太王碑でも倭は韓半島の覇権を巡って高句麗と争った事が記されている。倭国が韓半島に固執した理由は何故か?帆船の無い時代に日本列島から韓半島に大軍を派遣するのは現実的だろうか?
宋書倭国伝で記述された倭の五王に関し、記紀に記述が全く無い上に天皇の在位期間
と合わないのは何故か?
高句麗と倭が韓半島で死闘を繰り広げた時代に、大和政権が資金や労働力を戦争
ではなく大規模古墳の作成に費やしていたのは何故か?
旧唐書には「日本国は倭国の別種」とある。倭国と日本国は別の国だったのではないの
か?
三国史記新羅本紀によると第四代国王脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあったとある。倭国を九州とすれば東北に国は存在せず、畿内とすると脱解は倭人となり、新羅の王になるのは不自然ではないか?
三国史記新羅本紀では度重なる倭国の侵入記録があり、5方向から侵入した記録もある。倭は毎回対馬海峡を越えて侵入したのだろうか?
Posted by カルト・馬鹿一 at 2016年02月17日 05:24
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