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2016年11月03日

文化の日だから憲法を考える





  今日は文化の日だから憲法について述べたいと思う。こんなことを言うとなんか違和感を覚える読者の方がいるだろうが、実は文化の日とは日本国憲法が公布された日なのである。したがって憲法の話をしてもおかしくない。

 憲法は大東亜戦争に負けて、マッカーサー率いるGHQから押し付けられたものとしてできたものだ。したがって全面的に改訂されることが前提だったわけだったが、マッカーサーの行為を自分たちの好機と捉えたコミンテルンが日教組や社会党を後押しして、徹底的に変えさせないようにしていった。

 たしかに、憲法ができた当初はうまく機能していたであろう。しかし、時代が下るにつれて社会も変わるので当然内容を変えていかなければ社会情勢との乖離が生じる。しかし、日本国憲法は上の理由から一字一句変えられることはなかった。

 その結果どうなったか?一億層中流と呼ばれた時代が終わり、犯罪が多発するようになった。とくに特定アジアによる凶悪犯罪が激増した。日本人にはとてもできない鬼畜のような所業が最近増えたのは特定アジア人によるものである。

 なぜならば日本国憲法は権利を強調するあまり、義務や道徳については軽視されるようになったからだ。また、憲法のできた経緯から徹底的に自虐的な内容になり、愛国的な内容はなくなってしまった。この文章を見て特定アジア人は増長してしまったのだ。

 私はだからこそ憲法の改正を訴える。9条ばかりに目が行きがちだが、全面的な改訂を訴える。そこで要点を書いてみると、

・文章を現代的なものに直す。
かつて石原慎太郎東京都知事は小説家の立場から憲法の文章に苦言を呈していた。そこで憲法を変える際には愛国的小説家にも協力をしてもらうのはどうだろうか?

・愛国的内容を盛り込む
前文には日本が以下にすばらしい国であるかを盛り込み、そのために日本国民は何をすべきかと言う意味の文章を入れる。

・天皇は世界に冠たる存在であることを書く
アインシュタインも賛美した世界一伝統のある家系なのだから、そこを強調すべき。個人的には天皇は男系男子に限るべきとの文言も盛り込むべきであろう。

・9条の全面改訂
もちろんここにも触れておく。日本国憲法が自虐憲法と呼ばれるのはここに所以がある。日本の自衛隊は世界的に尊敬されている。だからこそ積極的に海外に出て行くこともためらってはいけないと思う。積極的に攻撃することはなくていいと思うが特定アジアだけは認める記述は入れていいだろう。

・義務を強調しよう
権利を高らかに謳うあまり、無責任な人間が増えてきた。だからこそ義務の大切さを盛り込み、義務を果たさない人間に対する処罰を盛り込むべきであろう。

・教育に道徳を盛り込む
教育の目的を明らかにし、道徳の大切さ、従順の大切さをあえて憲法に盛り込むことで日教組の入る余地をなくす。内容としては教育勅語を利用するといいだろう。もちろん、そのままでは使えないので文章を現代風に直したりすることも忘れずに。

こうして考えると、短い内容ではあるが自分が国家の一員であることを強く認識させられる。やはり憲法は日本国民の基盤であるから一度は考えたほうがよい。憲法は日本のためにあるから必要に応じて変えるのは当然のことだ。にもかかわらず憲法を変えるなという護憲派は意味不明というほかはない。
タグ:憲法
posted by 愛国 at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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