検索
 

2017年03月27日

肩を壊しても美しさは永遠に残る





 100年の高校野球の歴史で史上初めてのことが起こった。26日に行われたセンバツの福岡大大濠ー滋賀学園と福井工大福井−健大高崎の2試合が引き分け再試合となったのである。しかも2試合連続である。そもそも今まで1大会に再試合が2試合起きたことすらなかった。こんな前代未聞の大事件に驚きを隠しえないのである。

 延長戦になると最近は投手の投球数に話題が行くようになっている。福岡大大濠の三浦投手は今大会24イニングを投げている。この試合も196球と投げている。また滋賀学園は2試合で19イニングを戦った。選手の疲労を考えれば決して中1日は長くはないだろう。だが、それがいい。

 高校野球の最も美しい部分とは何か?それは「悲劇」である。投手が投げ過ぎて投げられなくなることこそ高校野球の美学ではないのだろうか?延長を全力の力をだして戦い、その結果肩を痛めて選手生活を絶つのも「悲劇」として美化されるのである。なぜならば全力を出して戦う姿は美しく純粋な姿なのである。だからこそそういうドラマのためにもこのような悲劇が必要なのだ。

 かつて自殺をした円谷幸吉氏の遺書は非常に文学的であると称賛されたことがある。円谷氏も全力で戦った結果の悲劇を選んだのだ。だから円谷氏の自殺はより愛国的で大いなる反響を呼んだのである。高校球児があえて自殺をしなくてもいいが、命を賭けるぐらいのことができなければ感動を与えることはできない。

 この再試合の連続は再びタイブレーク制などの導入をすべきとの声が上がるだろう。しかし失ってしまうものはあまりにも大きい。感動を失ってしまっては美は成り立たないのである。それはスポーツについても全く同じはずであろう。導入は行うべきではない。
ラベル:高校野球
posted by 愛国 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック